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2007年11月 アーカイブ

2007年11月02日

「生粋のフレンチ料理人、大阪人の舌を語る」ゲスト 和田信平

 食の街大阪を代表するフランス料理の名店「シェ・ワダ」のオーナーシェフ、和田信平さん。軽妙な大阪弁で笑いを振りまきながら、食べ物談義に花が咲きます。
 フランスで料理を学び、東京でも成功を収めたものの、大阪に出した店で苦戦を強いられたという経験から、大阪と東京の食に対する考え方の違いを解き明かしていきます。
 「ここだけの話、東京では何やってもウケますねん」と語るシェフ。東京人のグルメは知識があっても味覚の蓄えがない、と辛辣です。
 一方、一流店ほど気取らない、一流半クラスの店に事欠かないのが大阪の外食事情。類い稀なる大阪人の味覚を支えているのは、下町の市場であると断言します。
 大阪の市場では、季節感いっぱいの対面販売が基本。「もう少しで岸和田のだんじりやから、カニも身が詰まってるで」「京都に霜降ったから、そろそろ水菜やな」といった具合。
 大阪人の舌は世界で通用すると太鼓判を押しながら、それが失われつつある危惧も述べます。食べ物の話が、いつも卑近な街場の話題に結びついているのが和田シェフの魅力。「えらいしゃべって、ごめんなさい!」と言うほどの、闊達な食文化論をどうぞ。

2007年11月05日

「ニューウェーブ歌人の心」ゲスト 穂村弘

 ニューウェーブ歌人として知られる穂村弘さん。1990年のデビュー以来、口語体をポップに乗せる作風が幅広い世代に支持されています。
 表現者を志したとき、短歌しか見つからなかったという穂村さんの心の中を、作品の一部から言葉を拾い上げて読み解いていく番組の前半。エッセイに登場する「自由席は恐ろしい」という感覚を、穂村さん自身がやや滑稽に解説します。
 行列で前に割り込まれたらどのぐらいの反応をするのか?酔っぱらいがすれ違いざまに彼女に対して「ブス!」と言った時の対応は?など実話を交えた話題でスタジオは爆笑の渦に。
 番組後半は、ちょっと真面目な創作のお話。初心者向けの短歌教室も開催している穂村さんは、言葉を発することによって自分が現代の文明人に過ぎないと骨身に沁みて気づくことこそ、短歌を創作する魅力なのだと語ります。
 社会的には危ない感受性や「ずれ」を感じさせる言葉が、歌においては価値になるという歌論も展開。その後、リクエストに応えて自作の歌「ハロー夜」を披露し、自ら丁寧に解説を加えてくれます。
 静かな語り口とは裏腹の、鋭い感性のきらめきに満ちた30分をどうぞ。

「人気作家のユニークな遍歴」ゲスト 高橋源一郎

 「さようなら、ギャングたち」で文壇にデビューして以来、常に話題作や問題作を発表し続け、今や日本を代表する人気作家となった高橋源一郎さん。
 番組前半では、いつか小説を書きたいと思いながら、30歳まで子育てと肉体労働に追われたデビュー前の思い出を回想します。家族と別居して1人暮らしになり、家賃9千円の日の当たらない6畳間で聴いた深夜のラジオがきっかけで小説の執筆を決意。翌日から1日も休まずに書いて今に至るというエピソードが新鮮です。
 書き上げた処女作を応募するも最終選考で落選、すぐさま編集部の人から「新人賞用にすぐ次のを書いて」と連絡があった裏話も披露。その電話を受けてすぐさま「さようなら、ギャングたち」の1枚目を書き始めた時に「これは傑作になる」と確信したのだとか。そしてこの作品を理解してくれるのは吉本隆明さんだと勝手に考え、事実そうなったという後日談が続きます。
 様々なジャンルで活動しながらも、コンスタントに小説の執筆を続けてきた高橋さん。現在も1歳と3歳の子供を育てながら10本以上の連載をこなしているという、ユニークな作家生活の内情を覗かせてくれます。

2007年11月07日

「ビート・ジェネレーションふたたび」ゲスト 青山南

 このたび、ジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロード」を改訳した青山南さんがゲスト。今年で刊行50年となるこの作品は、アメリカ文化への理解が深まった現代にこそ読み直す価値があるというお話です。若いのにくたびれ、チャンスを奪われている人たちが、やりきれない現状をなんとか至福に転じようと発想を変えたビート・ジェネレーションの時代。それまでは庭仕事用の服だったジーンズやTシャツをお洒落だと認知させるなど、60年代以降のアメリカ文化に与えた影響力の大きさを振り返ります。
 さらに青山さんは、ケルアックがフランス系移民の両親を持ち、不思議な言語感覚を持っていた事実に注目します。彼が目標にしたのは、ジャズの即興演奏のように物語を書くこと。文法を気にせず、最初に浮かんだ言葉が最も適切と考え、28日間タイプを打ち続けて「オン・ザ・ロード」を書き上げました。そんなケルアックは、結果的に造語の名人だったのです。
 青山さんの好きな言葉は「hit the road」。行き詰まったら道へ出て、次のチャンスを探せばいい。そんな生き方を最初に堂々と示してくれたのが、ケルアックの「オン・ザ・ロード」でした。

2007年11月08日

「人の思いを生かす名編集者の仕事術」ゲスト 増子信一

 増子信一さんは、「面白半分」や「朝日ジャーナル」など1970年代を代表する雑誌を手掛けてきた編集者ですが、若いころは、「編集者」という仕事を目指していたわけではなかったそうです。
 そんな増子さんが編集者になるきっかけが、7年間経験したという喫茶店でのウエイターの仕事。常連客からたまたま「編集の仕事を手伝ってくれないか」と誘われ、読書は好きでも編集がどんな仕事なのか全くわかっていなかったのに、「あ、いいですよ」と受けてしまいました。
 ところが、実際に編集の仕事を始めてみると、ウエイターの仕事と意外に共通点があることがわかりました。
 「ウエイターは、カウンターから店のお客を見るでしょ? カウンターから見ると、全然風景が違うんですよ。この人は何をしたいのか、何を求めているのかが分かる。人を見るクセがついてきます。編集の仕事というのは、まさにそれ。何かを書きたいと思っている書き手を見て、うまく形にする仲立ち役ですから」
 この目を生かして活躍する増子さん、編集者としての代表作は、作品社での全200巻にも及ぶ『日本の名随筆』シリーズです。近現代の名随筆を集めたこのシリーズは、「産」「育」「恋」「婚」「死」など、1巻ごと1文字のテーマを設け、1人の作家がオリジナルに編むユニークな構成です。
 一人ひとりの編者との忘れられない場面にあふれ、「人生の200通りを織り込んだ」シリーズを語ってくれました。
 ちなみに、この名随筆シリーズ、ラジオデイズの「文芸の街」でぞくぞく音源化中です。読んだ方も読み損ねていた方も、声を通して心に届く随筆の新しい魅力を味わってみてください。

2007年11月12日

「自在に仏法を語る、若きメンター」ゲスト 釈撤宗

 大阪府池田市にある如来寺の住職であり、内田樹さんとの共著「いきなりはじめる浄土真宗」などでも知られる釈徹宗さん。
 法務のかたわら大学で講義を行い、さらにはお寺の裏にある一軒家で地域の認知症高齢者のためにグループホームを運営するなど、多彩な活動をしています。
 浄土真宗は在家仏教である上に戒律もなく、普通の社会生活を送りながら仏法への理解を深めることができる自由な宗派。宗祖である親鸞の思想を、イエスやキェルケゴールを持ち出しながら釈さんは解説してくれます。
 寺の長男として生まれたものの、自分には宗教者としての適性がないと思っていた十代。一時はキリスト教にも魅了され、バチカンで見たミケランジェロのピエタ像に「時空が歪むほどの聖性」を感じたことも。
 そんな幅広い知見を持つ釈さんは、宗教そのものよりも、宗教を信じる人間や宗教が作り出すパーソナリティに興味があると語ります。
 仏教の深い知恵を、日常生活でしなやかに実践させていく伝道師。笑いを交えたソフトな語り口には、膝を打つような名言がいくつも隠されています。

2007年11月14日

「詩人の言葉、その温かな声」ゲスト 清水哲男

 清水哲男さんは、戦後の日本を代表する詩人の一人。詩作に向き合いながら、その一方では編集者としての経歴も持ち、エッセイ、評論、詩の朗読、俳句雑誌の編集、そしてラジオのパーソナリティといった多彩な仕事をこなしてきました。
 番組前半では、長唄の師匠のお宅に下宿していたという京大在学中のエピソードに始まり、編集者として戦後詩の第一人者である田村隆一さんの担当となった縁などを楽しく回想します。
 1960年の安保闘争のさなかには、現代の世相を表現するための俳句を詠んでいたという清水さん。ところが時代が俳句の文字数に収まりきらないと思い至るや、第一詩集『喝采』を皮切りに次々と衝撃的な詩を発表しました。
 名作の誕生秘話にも触れ、『短い鉄の橋を渡って』がそもそも映像化することを前提にした作品であったという意外な事実も告白。近年、再び俳句に戻ってきたいきさつなども、興味深く聞かせてくれます。
 「ラジオのスタジオはなぜか落ち着く」と話す清水さんは、ラジオデイズ「声のエッセイ」のために自作のエッセイも吹き込み済み。鋭利で深淵な詩作のイメージとはまた趣の異なった、等身大の温かな人柄が感じられるトークです。

2007年11月19日

「大阪の下町からパリコレへ」ゲスト 安美佳(AHN MIKA)

 1993年のパリコレ参加以来、様々なファッションショーやファッション誌などで活躍しているモデルのアンミカさん。
 大阪市生野区で在日韓国人2世として生まれたミカさんは「目鼻立ちじゃない。周囲の人たちを心地良くさせるのが美人」というお母さんの言葉でモデルを志しました。そんなお母さんは中3の時に他界。夢を追うミカさんに、お父さんは「一流になるまで家の敷居を跨ぐな」と命じます。
 格安航空券でパリへ飛んだミカさんは、モデル事務所に門前払いされながらも貴重なアドバイスを得て帰還。そんな娘にお父さんは「チャンスは前からやってこない。常に努力していれば後ろから突然来る」と予言しました。
 やがて京都で遭遇した不思議な縁で、パリコレのデビューが実現。その後、済州島のお祖母ちゃんを訪ねて自分のルーツを見直し、韓国語を学ぶために延世大学へ留学して、ファッション界における日韓の架け橋となりました。
 番組終盤は、大阪のコリアンタウンのお話に。「ここで生まれ育ってよかった」と語るミカさん。亡き父の思い出を語る場面では涙も。大阪の下町には、こんなグローバルもあるのです。

2007年11月26日

「古き良き大阪のオバチャン」ゲスト 大西ユカリ

 レコーディングやライブのみならず、テレビでのコメンテーターなどもこなすマルチな仕事ぶりの、関西を代表するミュージシャン・大西ユカリさん。彼女のすべての活動の原点はもちろん大阪。しかし、彼女の眼には、愛する大阪が少しずつ変わりつつあると映っているようです。
 たとえば、彼女が思春期を過ごした1970年代は、高度経済成長期を経て豊かになったけれど、同時に、周りの変化にとても敏感で、情も溢れていた時代。パソコンも携帯電話もなくて、家に1台しかなかった黒電話の前で彼氏からの電話をじっと待つ女の子なんかがいた時代。そんな繊細な感受性が満ちていた時代だからこそ、街で大活躍できる「大阪のオバチャン」が育ったのだと、彼女は語ります。
 単に「オモロイ」オバチャンではなく、「カッコエエ」オバチャン、怒らせたらホンマにコワいけど、繊細で情に厚いオバチャンの心を伝えていきたいと、彼女は歌い続けるのです。

「開高健に“人たらし”を学んだメディア人」ゲスト 渡辺幸裕

 多数の文化人を輩出したサントリー宣伝部に長く在籍し、退社後も多彩な文化人との交流からユニークな活動を続けている渡辺幸裕さんがゲスト。
 サントリー社員時代の思い出で特に忘れられないのは、開高健さんの剛毅な旅をテーマにしたスペシャル番組を5本作り、その最終回が他界した開高さんの追悼番組となったこと。計らずも晩年にあった大作家の姿を間近に見ることができた幸運を、たくさんのエピソードとともに振り返ります。
 2000年にはサントリーを退社し、翌年株式会社ギリーを設立した渡辺さん。創刊した雑誌『ギリー』は、1年後に『PEN』と名前を変えました。現在も活動は多方面に及び、「日経ビジネスアソシエ」に連載中の日本文化指南も好評です。また週に2度のペースでイベントがあるという「ギリークラブ」は、毎回様々な分野の達人と呼ばれる人たちから素敵なお話を聞き出すという知的探求者の集まり。
 ギリーとは、スコットランドでフィッシングやハンティングの案内をするプロのガイドのこと。人と人とを結びつける無私の案内人、それが渡辺幸裕さんの天職なのです。

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